下山しながら私は自問した。果たしてTさんのあとを受けてこの調査をやる能力が自分にあるだろうか。単独ではもちろん無理だ。助っ人がいる。それもこれまでの仲間とちがって、野外活動と土木のノウハウを兼ね備えた人物。
 ふと、ある人の名が浮かんだ。二名良日氏。早稲田大学探検部OBでアウトドアの達人。後に、テレビ東京の人気番組「テレビチャンピオン」で、無人島王のタイトルを手にするスーパー熟年だ。以前、東京で子どもを対象にした「野外塾」を主宰していたころに知り合い、いつのまにか私もリーダーの仲間になった。98年当時は大阪をベースに活動していたので、現場に近くてなお好都合。小学生のころから知っている長男の一気君をはじめ、若いリーダーの何人かが参加してくれる見込みもあった。
 帰京するとすぐに二名さんに電話で事情を説明し、協力を打診した。すると、すぐにでも現場に連れて行ってくれという。さすがは好奇心のかたまりだ。現場に案内したのは3週間ほど後のことだった。狭いトンネルの中で、二名さんはしばらく無言だったが、私が「相当厳しい作業になりますが、ぼくは修業と思ってやるつもりですよ」というと、すぐに「やりましょう」という力強い返事が返ってきた。「修業」のひと言で心を突き動かされたという。
 調査開始のメドがついたので、私はTさんと契約書を交わした。経費はこちらもち、事故が起きたときの責任も負うのは当然として、こちらから求めて了承してもらったのは、物件を発見した場合、必ず公表して所有権については法にゆだねること、そして、物件の来歴が判明したら、当該国に返還するということだった。近世において、中国から違法に国外に持ち出された文化財は1800万件あるそうだから、その可能性が高い。21世紀になるまで2年半、これを戦後処理というならば、なんとか20世紀中に片づけたかった。
 その年の9月、若者4名を含む総勢6名で第一次のチームを組織した。山中3泊だから、テント一式、炊事道具、食料に加えて、現場には水がないので、途中の沢で15リットル入りのタンクを満タンにする。私はTさんからもらった背負子式の大きなリュックに、折りたたみ式のショベルやハンマーといった工具類、ライトと大量の単一乾電池などを詰めた。一つ一つが重たいものばかりだ。それぞれが30キロから50キロの荷物を背負い、勾配のきつい山道を登る。15分おきくらいに休憩しないと体がもたない。まさに修業だ。 
 長期戦になるのを覚悟して、1日目はキャンプ地を整備、2日目から落盤を防ぐために直径20センチ以上もある木を切り出し、トンネル内に運び込んで枠を組みながら縦坑を掘り下げていった。
 第二次調査はその年の11月、そして翌年4月の第三次で縦坑が貫通し、いよいよTさんが宝蔵のある場所と確信する地点へたどり着くことができた。
▲荷物が重すぎるので、山道を15分くらいの間隔で休み休み登る。ときには腹側にもリュックを下げ、両手に荷物を持つことも。 ▲ハイキングコースになっているので、山道自体は登りやすいのだが、急坂が多いし、若者といえども途中でぐったりする。 ▲現場付近に作ったキャンプサイト。長期戦になることを想定し快適なものに仕上げた。左から2人目がアウトドアの達人二名氏。

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