1998年4月中旬、私はTさんの案内で旧日本軍が隠した巨額の財宝が眠る山へ分け入った。Tさん自身が約10年ぶりのことで、登り口の様子が一変していたとみえ、初日は道に迷い、4、5時間ヤブこぎをしたあげくに下山、翌日ようやく正規のルートを見つけて目的地にたどり着くことができた。登り口との標高差は500メートル、片道約2時間かかった。
 山頂まであとわずかというところで山道からそれ、膝ぐらいまである雑草を踏んで10数メートル下ったところに、トンネルがポッカリと口を開けていた。案内がなければ、こんなところがあるなんて絶対にわからない。
 入り口の脇にビニールの風呂敷に包んだ四角いものがあった。
「ブラスチック爆薬ですよ」
 Tさんがぼそっとつぶやく。続けて、
「10年前に使った残りです。雷管も入っているんで、触らないようにしてください」
というので背筋が寒くなったが、とにかくトンネルの奥が見たい。ライトをつけたヘルメットをかぶり、腰をかがめて潜り込む。約15メートル進んだところで、行き止まりになっていた。そこは2坪ほどのスペースがあり、天井がドーム状になっている。
「ああっ」
 先を進んでいたTさんが突然大声を上げた。
「やってくれたな。あいつの仕業にちがいない」
 聞けば、あいつとは30歳くらいになる甥のことで、大学生のときに1年間休学させて、ここの調査を手伝ってもらったという。その甥が、単独か別の仲間を引き連れてか、伯父さんに内緒でここへ舞い戻ってきたようなのだ。
 また、それも説明がないとまったくわからなかったのだが、足元の平らな部分に、深さ5メートル強の縦坑の降り口があるのだという。Tさんの想像では、甥がスペースの少し手前に別の降り口を作ろうとして発破をかけ、その土砂で埋めてしまったらしい。
「こんなことをしなくてもよかったのに、縦坑を降りてすぐのところが本命地点なのだから」
 Tさんはしきりに悔しがる。どうやら、その縦坑に詰まった土砂を掘り出して再度穴を開け、下の段へ降りるしかなさそうだ。2、3回通えばスンナリと決着をつけられるとふんでいたTさんの思惑は外れてしまった。それにしても、見上げれば天井の岩盤はいつ崩れても不思議がない感じだし、長い時間トンネルの中にいること自体がとてつもなく危険に思えた。

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