Tさんは当初、この話をまったく本気にはしていなかった。埋蔵が事実だとしても、秘密を知る誰かが、とうに掘り出しているはずだと考えていたからだ。ところが、トンネルを発見し、詰められていた土砂を取り除いているうちに、兵士が軍服につけていた竹製のボタンなどが出土すると、考えを改めざるを得なくなった。人工的に掘削した後に埋め戻したのは明らかだし、中身を回収したのだったら、そのあとをこのようにご丁寧に埋め戻したりはしないだろう。ということは、ここはまだ手つかず。そう確信したのだった。
 俄然本気になったTさんは、裏を取るために戦中戦後の軍の事情を知っていそうな人に当たってみた。すると、憲兵だった義兄の口から思いがけない話が飛び出した。昭和15年に大陸から凱旋帰国した船に、貴金属のほかおびただしい数の、それこそ国宝級の美術工芸品が積まれていたというのである。材質はわからないが、唐獅子像などもあったとか。「それだ!」Tさんは膝をたたいた。さらに、昭和30年ごろに1カ所は見つかっていることもわかった。場所は海に近い集落で、数量はさほど多くはなく、大部分は山に隠されたものと思われた。
▲このような唐獅子の像が隠されているのだろうか。そうだとしたら、文化財的価値は計り知れない。

 協力するかどうかはさておき、大いに興味がわいてきた私は、とりあえずTさんに直接会って話を聞くことにした。心待ちにしていたらしく、年が明けてすぐにTさんは我が家の近くの喫茶店までやって来た。想像していたとおり、物腰の柔らかい紳士で、とても血眼になって巨額の財宝を追いかけている人には見えなかった。76歳、探索グループの最後の生き残りだという。
 詳しい説明を聞き、会話を進めるうちに、Tさんを駆り立てているものがけっして欲ではなく、偶然関わることになったこの一件の真相を、なんとしても突き止めたいという探求心だということがわかった。その点は長年埋蔵金探しをやってきた私も同じ。戦中戦後の混乱期に、さまざまな事情で隠された旧日本軍関係の財宝の話はほかにもあったし、そういうものが実在しても不思議はないと思っていたから、ムクムクと好奇心がわいてきた。
「昭和19年当時、3億円の価値があったものらしいです」
 Tさんからその金額を聞いたときはピンと来なかったが、あとで調べてみると、物価指数は600倍強になっているから、時価約2000億円! 雪が解け桜が散ったら、現場に案内してもらうことになった。

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