私とその仲間がTプロジェクトと名付けたこの一件は、1997年の暮れに突然かかってきた1本の電話がきっかけだった。そのころは、宝探しに取り付かれた人からの電話が絶えず、神のお告げで××の財宝のありかがわかったから、一緒に探しに行こうとか、金に反応する探知機を開発したから協力するよなどという話に、いいかげんウンザリしていたので、そのときもただ聞き流しているだけだった。記憶にあるのは、探しているのが太平洋戦争末期に旧日本軍が隠した物資であること、長い間探索を続けてきたが、歳をとり、家族が心配して代わりにやってくれる人を探していたところ、長男が私のことを知り、かなり苦労して電話番号を探り当てたということくらいだった。場所にしても、えらく遠いところのような気がしたが、よく覚えてはいない。
 すると、数日後にA4サイズの分厚い封書が届いた。差出人のTさんの名前は記憶にあったから早速中身を改めると、400字詰め原稿用紙15枚を束ねた「調査書」と、クリアファィルに整然と並べられた写真だった。調査書の自筆の文字といい、資料のまとめ方といい、かなり几帳面な性格が表れている。しかし何よりも驚いたのは、真実味あふれるその内容だった。情報源は地元の有力者で、その家に下宿していた将校から次のような話を直接聞いている。
「軍は大陸から持ち帰った略奪品を秘匿していたが、本土爆撃によって失われるのを避けるため、昭和19年に2カ所に避難させた」
 戦後、その有力者を中心に探索が開始されたが、将校は戦後すぐに病死し、何の手がかりも得られないので、Tさんに協力を求めた。Tさんは鉱山技師で、銅、亜鉛、マンガンなどの鉱石の探査のために山々を歩き回り、一帯を知り尽くしている。それが見込まれたのだった。そして、ある山の標高約800メートルの地点で、Tさんはまず軍の施設があったと思われる平坦な場所と櫓の跡のようなものを見つけ、その近くでトンネルを発見する。用を足すために偶然足をかけた岩が、不自然な感じがしたのでひっくり返してみると、発破をかけたあとが認められた。そこで、付近の岩と土を掘り起こしたところ、岩盤をくりぬいたトンネルが現れたというわけである。昭和30年代の半ばごろのことだった。

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