日本全国どんな小さな町や村へ行っても、たいてい1つか2つの埋蔵金伝説を聞くことができます。大規模な市町村合併が行われる前の2000年ごろまでは、日本の市町村の数は約3200でしたから、仮に1つの市町村に2つずつ伝説があるとすると、単純計算で6400。場所によっては多くの伝説が集中しているところもありますので、ひょっとしたら万の単位に届くかもしれません。 ただし、その大半はおとぎ話のようなもので、「朝日さし夕日輝く○○の木の下に、黄金千杯朱万杯」という定型の里歌とともに残された長者伝説は、全国いたるところにあります。また、戦いに敗れた武将やその家来が、お家再興のために隠した軍資金の話にしても、ほとんどが日本人独特の判官びいきから生まれたものでしょう。そういったフィクションが99パーセント以上を占めていると考えるべきで、ほんとうに出てくる可能性のあるものは1パーセント弱、さらに絞り込めばせいぜい20話から30話ということになります。 ところが、工事現場などから偶然に見つかる埋蔵金は、ほとんどが言い伝えも古文書もなかったものです。考えてみれば、いまのような銀行やがんじょうな金庫などがなかった時代には、お金を盗難や火災から守るためには、地下に埋蔵しておくのが最も手っ取り早く安全な方法だったのです。金庫がわりの壺に保管していたお金が、何らかの事情で子孫に伝わらなかったものもあるでしょうし、中には明らかに意図的に埋蔵された例もあります。ですから、まだまだ日本の地下には人知れず眠ったままの大判・小判がたくさんあるとみていいかもしれません。 戦国史の権威で國學院大学の教授だった故・桑田忠親先生は、『日本宝島探検』(日本文芸社)という本の中で、未発見の埋蔵金の総額は時価150兆円に達するだろうと述べられています。この本が出版されたのは昭和52年のことですから、いまだったら200兆円といっても差し支えないでしょう。ただし、この金額は、現在の大判や小判の骨董価値をもとに計算されたもので、一度にたくさん見つかると骨董価値は大幅に下がりますから、かなり割り引いて考えるべきです。といっても、まだまだ楽しみはありそうですね。 |