■風呂場や掘りごたつまで自分でつくる元祖DIY
 最近DIY(Do It Yourself)という言葉をよく耳にしますが、ぼくの母方の祖父はまさにそれが得意でした。そういう人が昔はざらにいたと思いますが、祖父は別格といってもいいでしょう。大工仕事や左官仕事だけではなく、ニワトリをさばいたり、漬け物を漬けるノウハウも身につけていました。芸術的な面の能力がいかほどのものだったかは知りませんが、後にレオナルド・ダ・ビンチを知ったとき、「ああ、じいちゃんのような人だ」と思ったほどでした。
 祖父・藤本續(つづく)は、明治25年に熊本県上益城郡御岳村成君(現在の山都町)の農家に生まれました。そこへは小学生のころに1度だけ行ったことがありますが、ものすごい山の中なのでびっくりしました。祖父は師範学校を出て教師となり、上益城郡の小学校を皮切りに、矢部農業学校や熊本市内の小学校などで教鞭をとりました。ぼくが知っているのは、熊本工業学校を退職してだいぶたって
祖父と祖母の結婚写真。大正5年7月撮影。

からの祖父のようです。子供はぼくの母親がいちばん上で、7人姉弟でした。祖母も女子師範を出た元教師で、2人揃って教育熱心でしたから、5人の叔父たちはみんな熊本中学か熊本高校卒で、大学も出ていますので、当時としてはたいへんなこと。教育費もばかにならなかったはずです。ですから、祖父は少しでも家計が楽になるようにと、家の修理や改築などを、できるだけ自分でやっていたのでしょう。
 熊本市内にも借家があって、母に連れられてよく行っていましたが、隣に住む叔母一家と共同で使う風呂場も、全部祖父の手作り。プロが作ったのと全く遜色のないできばえでした。うちに五右衛門風呂を入れるときも祖父が作ってくれたし、掘りごたつも祖父の作でした。ぼくは作業の様子をいつもじっと見つめていて、大きくなったら自分もできるようになりたいなと思っていました。

■忘れられない味、じいちゃんの壺漬け
 母の実家は2軒ありました。一つは前述の熊本市内。熊本駅の近くの祇園橋という優雅な名前の橋のすぐ脇でした。石光真清の『城下の人』には、明治10年の西南戦争のときに、薩摩軍が橋の下に畳を立てて坪井川の流れをせき止め、水攻めを試みたけど失敗したということが書かれています。もう一つは、藤本家のふるさと御岳です。ただ、ぼくの子供のころには、馬見原行きのバスが走る県道沿いに家がありました。医者になった2番目の叔父が、無医村だったこの村に診療所を開き、同家の本拠地としたのです。夏休みになると、1週間くらいはここで過ごしました。脇を清らかな小川が流れ、沢ガニや小魚がいました。石を積み上げてダムを造ると、泳げるくらいのプールができました。従兄弟たちも集まってきて、まるで合宿所のようになることもありました。
祖母の初盆で御岳に集まった従兄弟たち。後列右から二人目がぼく。
 祖父がいるときは、もっと大きな川へ連れて行ってくれました。ぼくたちが泳ぐのを見守ってくれるだけでなく、ガラス製の“うけ”という仕掛けで小魚をとったりもしてくれました。でも、何よりも感心したのは、ニワトリをさばいてくれたときです。生きている鶏の首を絞め、羽をむしったあと、手際よく解体していきます。そして、皮から肉、内臓、骨まで、何一つ残さず見事に食べ物にしてくれるのです。とくに、いろいろな野菜も入った雑炊は絶品でした。
 田舎には、ほかにもおいしいものがたくさんありました。米の粉で作った団子、干しタケノコの油炒め、それから、お土産に持ち帰り、家でも食べることができたものの一つに焼米があります。地元では「ヤキノコメ」と呼んでいました。米を籾のついたまま炒り、つぶしたあとで籾殻を取り除いたものです。熱湯をかけて3分ほどおくと、やわらかくて香ばしいおやつの出来上がりです。インスタントラーメンが世に出る前から、ぼくはインスタント食品を知っていました。
 祖父が作るものでもう一つ忘れられないのが壺漬けです。カラカラに干し上げ、いったん塩漬けにしたた大根を、焼酎が入っていた壺に漬け込むのです。あんな大きな壺をどこで手に入れてきたのでしょう。中は空っぽでも、焼酎の風味が残っていました。一定期間置いたあと、細い口から先をちょっと折り曲げた針金で引っかけて取り出すのですが、これがなかなか難しく、子供には無理でした。母が祖父に言われて顔をしかめながら苦労して取り出すのを、横で見ていました。手が込んでいるだけあって、味は格別。どちらかといえば大人の味ですが、ぼくは大好きでした。
晩年の祖父と孫たち。ぼくの姉弟も含めて、藤本家の孫はちょうど20人。

 祖母が65歳の若さで他界したあと、祖父は熊本より御岳のほうで過ごすことが多くなりましたが、ぼくが高校2年のとき、73歳で亡くなりました。箸や茶碗の持ち方などに厳しく、ちょっと怖い面もあったけど、いろいろなことを教えてくれたじいちゃん。ぼくが受け継いだものはけっこうあると思っています。

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