■夏は冷たく、冬は温かい井戸水
 蛇口をひねると水がジャーと出るという文化的な生活が、わが家でできるようになったのは、ぼくが小学校4年生か5年生のとき。それも、井戸水を電動ポンプでくみ上げる簡易水道がついてからです。熊本市は上水道の100パーセントを天然地下水でまかなっている、世界的にも希有な都市ですが、郊外にあったわが家は、昭和40年ごろまではまだその恩恵に浴していませんでした。天然水の水道が引かれたのは、ぼくが高校を卒業して上京したあとのことです。
 近所の友達のうちの中には、井戸が屋外にあって、つるべを使っているところもありましたが、わが家の井戸は屋内の台所の真ん中にあり、物心ついたころから手動ポンプがついていました。ポンプのわきに流しがあって、炊事のときには直接流しに水をくみ上げます。それくらいならばまだ楽ですが、風呂の水も手動ポンプでくみ上げなければなりません。これがけっこう重労働でした。風呂は五右衛門風呂で、最初はバケツにくんだ水をいちいち風呂まで運んでいたようですが、ぼくが水くみ係になった小学校低学年のころには、ポンプから風呂桶までの3メートルほどの間に、直径10㎝弱のトタン板でできたパイプが渡されました。着脱式で、風呂の水くみのときだけこれをつけます。回数は忘れましたが、ちょうどいい水量になるまでには何回ポンプを動かせばいいかが決まっていて、声を上げて回数を数えながらアームを上げ下ろししました。おかげで足腰が鍛えられました。
 風呂の水くみとはそういうものだと思っていたし、そのころは毎日わかすわけではなかったので、さほどたいへんだと感じたことはありません。井戸水のいいところは、1年を通して水温の変化がないことです。ですから、夏場はとても冷たく、冬は温かく感じます。冷蔵庫のない時代ですから、夏にはスイカを網に入れ、井戸の底に釣りおろして冷やしました。
 次に台所の燃料ですが、プロパンガスを使うようになったのはぼくが10歳を過ぎたころです。それまでの燃料は薪か木炭か練炭。物置には常に燃料の買い置きがあり、薪や炭俵は子どもでも持てるので、燃料屋さんまでお使いに行くこともありました。
 ご飯を炊くかまどは勝手口を出てすぐの屋外にあり、中学生のころまでぼくは好んでご飯を炊いていました。もちろん薪割りから始めて、いにしえからの教え通り、「はじめチョロチョロなかパッパ、赤子泣いてもふたとるな!」を実行しました。いつもおいしいご飯が炊けました。いまでも焚き火は大好きですし、キャンプなどでご飯を炊くのも得意です。
 冬場は、ご飯を炊いたあとのおきを七輪に移し、練炭をおこしました。練炭は最初のうちは鼻をつく石炭ガスが出ます。それがおさまるまで十分に燃焼させ、掘りごたつの熱源にしました。夕方おこすと、翌日の昼近くまでもちます。最近もときどき練炭火鉢による一酸化炭素中毒事故が起こりますが、そのころのわが家はすきま風が入るほどでしたので、換気に問題はありませんでした。

■小学校の校長の家に電話がなくてもつとまった時代
 わが家に電話がついたのは昭和41年のことでした。ぼくが高校を卒業して家を出たあとです。そのころは電話局に申し込んでから設置されるまで3年は待たされましたから、ちょうどいいタイミングでした。2人の姉を差し置いて、4人姉弟の中で家を出たのはぼくが最初。それも東京へ行ったのですから、親にとってみれば、電話がついたことで安心感が得られたことでしょう。
 ぼくの大学入学と父の退職は同時でした。ですから、父が現役の小学校校長時代に、家に電話はなかったのです。そんなこと、いまは絶対に考えられません。では、どうしていたかというと、緊急の場合には、200メートルほど離れたところにある雑貨屋のおばさんが取り次いでくれていました。確か昭和30年代の初めのころだったと思いますが、その雑貨屋さんの店頭にピンク電話が置かれたときに、好意で取り次いでくれることになったのです。でも、実際におばさんが息を切らしてうちに駆けつけ、「電話ですよ」と知らせてくれることは、めったにありませんでした。
 電話が普及する前は、どこの家でも急ぎの用を知らせるのは電報でした。家族が危篤になったり亡くなったりしたときも、ふつう電報で知らせていました。よくよく考えてみると、通信の手段が発達し、便利になってきたことによって、人は“緊急の用件”をわざわざつくりだしてきたのです。いま、ぼく自身も携帯電話を肌身離さず持っています。ときに、急な知らせが入ってきますし、自らも焦ってほかの人に連絡をとることがあります。でもそのあとで、はたしてそれがどうしても急がなければならなかったことだったのだろうかと、首をひねってしまうことがあります。もしかしたら、この世の中に“緊急の用件”なんて、ひとつもないのかもしれません。便利な通信手段がない時代のほうが、落ち着いた暮らしができたように思えてなりません。

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