■テレビ番組出演がきっかけで、現地から新情報が
テレビ朝日の特番「緊急生中継! 徳川埋蔵金大発掘」を見て、高橋喜久雄氏に連絡をしてきた人物の1人が、群馬県利根郡片品村に住む萩原徴氏(当時72歳)である。
若いころは山仕事にいそしみ、温泉を掘り当て、自宅にも源泉を持っている萩原氏は、同村の旧沼田街道沿いに伝わる幕末の目撃談や、隠された宝物に関する伝承、過去の探索話、幕府御用金を隠した場所と思われる昔の金山跡のことなどについて語った。
そして、400年以上前に甲斐の武田氏によって発見された「金井沢金山」の跡へ案内してくれることになった。その場所を知っている人は村の中でも数人しかいないらしい。
花咲地区の民宿で萩原氏(左)の話を聞く。
千両箱を背に武士団に引かれていく8頭の牛のイメージ
萩原氏からの手紙の中にあった、仲間が山で見つけた岩絵の写し。「子方へ入」の文字と、3つに重なる山、滝、そして鉱山記号のようなものがある。
【萩原氏の話のおもな内容】
◇慶応4年(1868)の3月、片品の中心地鎌田付近で、千両箱と思われる木の箱を2個ずつ振り分けに背負わされた牛8頭が目撃された。
◇昭和の初めに源華子と名乗る女性をリーダーとした白装束の一団が、徳川幕府の御用金の探索を目的として、鎌田付近で発掘を行ったことがある。
「おじうた向こうには宝がある。赤城財宝の一部」という言い伝えがある。「おじうた」は「宇条田峠」のことで、その向こうというと同村花咲地区か、その北方の金山跡のある場所をさすと思われる。
◇昭和30年代に山仕事仲間が「山でたいへんなものを見つけた。もうすぐ大金持ちになる」と口走り、直後に病気で死去。その男は、山中で文字と記号が彫られた岩を発見したといい、その写しが残されていた。



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