■高視聴率をあげていたTBSテレビの埋蔵金発掘番組
当時、TBSテレビが群馬県の赤城山の麓で、「徳川の埋蔵金の発掘」と称して重機を使った大々的な工事を行い、特番として定期的に放送し、高い視聴率を獲得していた。
しかし、地下深いところに現れた縦穴や横穴は、埋蔵当時のものではなく、太平洋戦争前に、埋蔵金探しのために掘られたものだ。
昭和13年ごろ、当時の近衛内閣のブレーンだった後藤隆之助という人物が赤城山麓を訪れ、水野家2代目の義治氏と会い、埋蔵金が本当にあるものならば、国家事業としてやるべきだと考え、在郷軍人(退役したり、ふだんは農業などに従事しながら有事に備えて待機していた軍人)を多数集めて大がかりな発掘を行った、
近衛文麿。第34,38,39代総理大臣

後藤隆之助。近衛文麿のブレーンを務めた政治活動家
明治中期から昭和50年ごろまで、親子2代にわたって埋蔵金の発掘を行った水野家2代目の義治氏(昭和45年撮影)
まるでアリの巣のように複雑に掘られた穴が、奥へと続いている。現在は入り口が埋もれて入ることはできない。
そのあとは、ウソかまことか総延長25㎞もあるという。昭和49年(1974)年、私はTBSの発掘現場から500mほど離れた場所にある入り口から中に入ったことがあるが、まるでアリの巣のように複雑に穴が続いていて20~30m入ったところで、出口がわからなくなるのではないかと恐ろしくなり、あわてて出てきた。話半分としてもその穴がTBSの発掘現場まで続いていることは確かだ。
穴の掘り方はTBSの現場で出てきたものと同じ(昭和49年撮影)
徳川の埋蔵金伝説と赤城山麓の探索史について多少知識のある人なら、以上のことはたいてい知っていた。つまり、テレビ番組は素人だましだったといって差し支えない。1回の放送に数千万円の制作費をつぎこみ、すでに埋蔵金探しが終わった場所、小判1枚出るはずもないところを掘っていたわけだから、トレジャー・ハンターがそんなことをやれば大失敗だが、視聴率は平均20%以上。番組としては大成功だったということだろう。


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