では、キッドが日本までやって来た可能性がほんとうにあるのでしょうか? 捕らえられる直前の1年間ほど、東シナ海を中心に
略奪行為を働いていたといううわさ話はありますが、アメリカやイギリスに残る史料には、はっきりとそのことを示すものはありません。逆に、それを完全に否定する材料も見当たりません。
 ところが、宝島には次のような言い伝えがあるのです。
「元禄11年のころに外国の海賊がやって来て、洞窟に逃げ込んだ島民を焼き殺し、その洞窟に住み着いていたが、あるとき、財宝を残したまま島をあとにした」
 元禄11年というのは西暦でいうと1698年で、伝説とぴったり一致します。
 時代的にはずっと後のことですが、文政7年(1824)にもイギリスの船が来ています。島に上陸した乗組員が食用の牛を要求したところ、島民が拒んだために争いが起こり、牛3頭を強奪したイギリス人の1人を、たまたま島に来ていた役人が鉄砲で射殺するという事件に発展しています。幕府が「異国船打払令」を出したのは翌年のことで、この事件がきっかけになったといわれます。「彼らはキッドが描き残した地図を手に入れて、宝を掘り出すために来たのではないか」と考える人もいますが、はたしてどうでしょうか。

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